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低線量被曝といかに向き合うか

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日本医事新報12/31号の特集「低線量被曝といかに向き合うか」を読んだ.今後,われわれが長期にわたって向き合わなければならない低線量被曝の健康影響について,見解の異なるふたりの専門家,鈴木元先生(国際医療福祉大学クリニック院長)と崎山比早子先生(高木学校)が総説を執筆し,その後,同志社大学心理学部中谷内一也先生が心理学の観点から現状を語っている.

現在,「低線量被曝,すなわち100 mSv以下の線量域において,身体リスクが生じるのかどうか」が問題になっている(100 mSv以上での発癌リスクは確実と考えられている).専門家の中には「100 mSv以下であれば問題はない」と言い切っている人もいるし,文科省の「放射線等に関する副読本」には,学校の先生向けに「100 mSv以下の低い放射線量と病気との関係については,明確な証拠はないことを理解できるようにする」と指導するよう記載がある.しかしこれを信じて良いものか?

まず基礎知識のおさらいをしたい.1 Gy(グレイ)は放射線によって,1キログラムの物質に1ジュールの放射エネルギーが吸収されたときの吸収線量と定義される.問題のSv(シーベルト)は,生体が被曝したときの生物学的影響の大きさ(線量当量という)の単位.線量当量とは,吸収線量(Gy)に,法令で定められた係数,つまり放射線の種類ごとに定められた人体の障害の受けやすさを掛け算したものである(例えばα線はX線の約20倍,生物を傷つける作用を持つためα線の1 Gyは20 Svになる).ちなみに

東京―ニューヨーク間航空機旅行(1往復)0.2 mSv
自然放射線量(日本)1.5 mSv
CTスキャン1回 数mSv

さて本題の総説の紹介に移る.鈴木先生は,結論から言うと,年間数mSvの低線量被曝は,絶対に許容できないというレベルのものではないという考えである.具体的には原爆被爆者の疫学研究により得られたリスクの係数を使って,100 mSvにより生存期間中に癌死亡が生じるリスクをまず示している.例えば10歳男性がその生涯において癌で死亡するリスクは,被曝しなくても30%ほどあるが,100 mSvの被曝があると2.1%増加し32.1%になる(ちなみに30歳男子では生涯25%の癌死亡が25.9%に,50歳男子なら20%が20.3%になるそうだ).次に低線量被曝を年間5〜10mSvとし,100 mSv 以下でも直線的にリスクが低下するという「直線しきい値なしモデル」を採用してリスクの推定を行うと(モデルの採用の根拠は後述のRothkammらの論文),10歳男性の癌死亡のリスクは,被曝なしの2.1%の1/20(0.1%)だけ増加し,30.1%になる.この0.1%のリスクの上昇は,交通事故死や肥満の癌死亡リスクより低く,絶対許容できないというレベルではないのではないか,というのが主旨である.そのあと,原爆被爆のデータ(高線量被曝データ)から低線量の遷延被曝のリスクを推計した妥当性を述べ,最後に,低線量の遷延被曝では,急性被曝と比べてリスクが低くなることを示し,計算した上記リスクより実際のリスクは小さくなるのではないかと述べている.つまり,この考え方を採用すれば,この計算上のリスク増加の値を,各人がどう判断するかがポイントになる.

一方,崎山先生は,放射線による遺伝子の障害に安全量はないので低線量でも被曝は避けるべきという考えである.放射線障害には急性障害のみだけでなく,後になって生じる晩発障害(発癌など)や遺伝的障害があることを重要視している.そして発癌のメカニズムはDNA損傷であり,どの程度の線量で放射線が二本鎖DNAを損傷するかを知れば,自ずと,癌を起こしうる線量が分かるという考えである.ここでRothkamm Kらによる以下の論文を引用している.
Evidence for a lack of DNA double-strand break repair in human cells exposed to very low x-ray doses. Proc Natl Acad Sci U S A. 2003;100:4973-5.

この論文ではMRC-5という培養細胞(ヒト胎児肺から得られた細胞)にγ線を照射する実験が行われている.二本鎖DNAの切断を鋭敏に検出するγH2AXフォーカス法という方法を用いている.簡潔に機序を述べると,ヒストンH2AのバリアントであるH2AXは,C末端に約20アミノ酸の特徴的な配列を持つが,この中でC末端から4番目に当たるSer139がDNA損傷に応答してリン酸化を受けることが知られ, DNA損傷マーカーとして頻用されている.鈴木先生の総説では,DNA損傷と線量の関係について,DNA損傷の頻度は低線量域まで直線的に減少することを述べるために引用しているが,崎山先生は,最低1.3 mGy(γ線を用いたため1.3 mSv)で二本鎖DNA切断が起きていることを述べるため引用している.そして放射線被曝は,1.3 mGyから発癌の原因になることが実証されたと記載している.さらに低線量被曝による発癌には“しきい値がない”すなわち安全量は存在しないという国際的な合意があることや,被曝の健康リスクは“発癌”のみでないこと,つまり心臓血管系疾患をはじめ非癌性疾患が線量に依存して増加することが,広島・長崎,チェルノブイリの追跡調査で明らかにされていることを示している.遺伝子障害については,チェルノブイリ事故当時,胎児・子供であった人々が現在,生殖年齢に達し,その子供において早産,未熟児,奇形児の出産が増加していると述べている.ただ個人的意見を述べると,後半についてはその通りのように思えるが,前半のRothkammの実験の解釈は慎重であるべきと思える.培養細胞での結果を人体に直接当てはめるのは無理があるし,DNA損傷イコール発癌と言い切って良いのだろうかとも思う.

最後に中谷内一也先生の心理学の話.低線量被曝は「晩発的」「外部からは観察困難」「本人にも感知できない」ものであるが,こうした未知の因子に対し,人間は「今は問題がなくても将来災いをもたらす」と強く不安を感じるそうだ.事故当初,政府が「直ちに健康への影響はでない」と説明したことは逆効果となり,結果として不安を煽ってしまったと考えられる.

また低線量被曝のリスクを定量的に理解するためには,物差しとなる他のリスクと比較すること有用である.しかし,リスクを比較する時に,説得の意図が見えてしまうと,比較そのものが拒否され,誰も説得されなくなるのだそうだ.食品の安全性をアピールするために政治家がカメラの前で問題の食品を食べることがあるが,これで安心感を得る人は少ないというのはこの例だ.問題が起きた後に提示しても手遅れで,事が起こる前に提示していなくてはならないということだ.冒頭に「100 mSv以下であれば問題はないという発言を信じて良いものかどうか」と書いたが,まさにこの不信感にはこのような心理が作用しているのだろう.

低線量被曝の問題に関する2名の専門家の総説を読み,自分なりに到達した感想は,「低線量を遷延被曝することのリスクを正確に判断するだけの十分なエビデンスはない.しかし,少なくともゼロとは言えない.このゼロとは言えない未知のリスクを,重大なものと受け止めるかどうかという各個人の判断に帰結する」である.今回の特集は低線量被曝を考えるきっかけになるのでぜひ全文をご覧頂きたいが,この記事だけを信じるのではなく,多くの専門家の意見とその根拠も確認し,各人がそれぞれ答えを出す必要があるように感じた.

日本医事新報12/31号

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